たくやかつみの日記

自己顕示欲の廃棄場

自分を見失ったときは神社行け

たくやかつみです。

僕は無神論者でありながら信心深い性格であり、困った時は手を合わせて神頼みをしたりたまに夜中怖い動画を見てしまうと少し寝るのが怖くなってしまったりします。

初めてまともに描いた漫画が幽霊の話ですから僕がスピリチュアル大好き人間なのはなんとなくわかってもらえるかなと思います。申し遅れましたが実は僕漫画描いてます。

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本題なのですがそれもあって僕は何かあると神社に赴きます。神社の作法というのは多種多様ありまして、まあ鳥居をくぐるときは真ん中を通ってはいけないという一般的なものもあります。賛否両論で言えばお賽銭は5円(御縁がある)じゃないとダメというところもあれば、別に何円でもかまわないという話もあり、かというと運営的には換金時の手数料があるから1円はやめてくれと言ったり、お金は神様に気づいてもらえるよう大きな音を立てて入れろ派もいれば、お金を投げ入れるのは失礼だからやさしく投下しろ派もいるのでまああまり深く考える必要はないと思います。

でも共通して言えるのはやはり自分がされて嫌だと思う参拝はしないということです。
自分が神社の神だったとして、どんな参拝客がいいかという話です。
たとえばお賽銭の金額です。これはいわばスーパーチャットです。緑でも赤でも神ーらいつもありがとう!という気持ちを込めて投下することが大切だと僕は思います。本当は嫌だけど……って気持ちで500円を投下する重い奴よりもここはひとつよろしく!っと10円ポンと入れてくる人のほうが個人的にはいいです。俺はそんなに安い神じゃねえって神様も中にはいると思いますが、自分が入れたいと思った金額が正しいお賽銭の金額と言えるでしょう。

お願いにしてもそうです。いきなりこうこうこうしてくれと祈られるよりは、「たくやかつみです。いいことありますように」とか「たくやかつみです。出会いがありますように。」とかでいいんじゃないかなと思います。

とはいっても僕は煩悩の塊なのでそういう意識していないと神にあれをしてくれでもこれもしてほしいと煩悩をぶつけまくってしまいます。
でもそれも神社の醍醐味かもしれません。個人的に神社でお祈りしている時は自分でも信じられないほど煩悩と向き合うことになります。あのことについてお願いしようと考えていても、いざ手を合わせると「なんかいい感じの彼女ほしい」とか「フォロワー10万人欲しい」とか「オフパコのお誘いほしい」とか「漫画とかだけで生活できるようになりたい」とか心の奥底に眠っている煩悩があれよこれよと頭によぎって集中できず、神様の前だぞやめろと自分を律しようとしながらも頭は暴走した煩悩で埋め尽くされるのです。
でも逆にそういう観点で見ると自分を見失っている人にはおすすめかもしれません。
神社に手を合わせると、恥ずかしくて目をそらしていた本当の醜い自分が取り出せるかもしれません。