たくやかつみの日記

自己顕示欲の廃棄場

3大欲求さえ満たせれば人間なんとかなる説

たくやかつみです。

先日夜。やることがなくなったため(漫画の作業とかは腐るほどあるのですが気乗りしなかった)ちょっと早めに寝ることにしたのですがなかなか寝付けず、もしやこれは鬱なのではないかとガクガクブルブルしておりました。

翌日。よくない感覚を覚えた私は動かない身体に鞭をうち家の裏にある山を登ることにしました。途中マムシがいるのか草がざわざわと動いて怖かったです。花粉がひどく喉は痛いし鼻は詰まるしで最悪でしたが山の上からの景色は綺麗でちょっとした達成感もあったのでまた余裕があれば登りたいなと思いました。僕は馬鹿なので煙と同じで高いところがすきなのです。
広場みたいなところがあったのでおにぎりかなんか持ち込んでピクニックをするのもいいですね。

山に登り冷静な判断力を取り戻した僕は大切なことを思い出しました。
人は何故苦しみ、労働するのか。それは生きるため……ではありません。己の欲求を満たすため、つまりは人は死なないために生きるのではなく己の欲求を満たすために生きているのです。欲求ではなく、死なないために生きていると考えると、なぜ人は死んではいけないのかという思考になり、鬱や自殺に行き着くのです。

リストカットしてる女の子を見てください。だいたいガリガリです。*1ちゃんと食べてないんです。食べてたとしてもどうせいつも同じようなもんばっか食べてるんでしょう。セックスはちゃんとしてますがどうせ一時的なものです。1日中やってるわけではありません。23時間は虚無です。
睡眠もどうせ摂ってません。いっちょ前に風邪薬ばっかり飲んでます。
そんな人を見てどうですか、幸せだと思いますか。不幸せだと思われると喜ぶようになってしまうと人間もうだめですよ。それはもうただのえっち人間です。

人が生きる上で求める欲求とは3大欲求+αです。
美味しいものを食べる。快楽の追求をする。気持ちいい布団で眠る。そのほかにも知識を探求する。承認欲求を満たす。お金を稼ぐ。なんでもいいです。
人生はRPGのようなものなので適切に回復してあげないとどこかでやられます。知らないうちに難易度が上がって即死攻撃されることだってあります。
当然ですが心が死んでしまうといくら美味しいものを食べても味がしないですしちんちんは勃たなくなりますし夜は眠れなくなってしまいます。そうなれば人は死んだも同然です。そうなる前に定期的に回復しなければなりません。

特に手軽に欲求を満たす方法に「食べる」という行為がありますが、これを見落としてる人が意外に多い。オカルトな界隈でも、食べることと性欲を満たすことは魔を寄せ付けない方法として知られているのです。
たとえばマクドナルドはたしかにモノの割には高いイメージですが、仕事とか1日の終わりなんかに食べるとお腹とはまた違う胸のあたりが満たされる感じがしないでしょうか。ただの胸焼けでしょうか。
いつも同じようなものばかり食べている人は違うものを食べてみてもいいかもしれません。お腹が膨れれば一緒なのはそうですが、やはりドーパミンというのは満腹後より食事中のほうがでるわけですから、最終的な報酬はいいものを食べたほうが大きいです。オナニーだって同じオカズしか使わなかったら義務的になるはずです。

人は生きるためではなく欲求を満たすために生きているので、食事だってお腹を満たすために摂るのではなく、欲求を満たすために楽しんで摂るべきです。

*1:僕はガリガリで貧相な体型の女の子だいすきです